建築アーカイブズとコミュニティ①

アーカイブズは関係するコミュニティの維持と発展にも寄与する。というより、関係コミュニティの維持と発展のためにアーカイブズがあるのだと言ってもいい。
資料はもともと、何かしらの人間関係に紐づいている。多くの資料は何らかのやり取りに基づいたものだ。すごくプライベートな個人資料もあるが、それらも家族や近しい人との関係に紐づいていたりする。残された資料をアーカイブズ化しようとする場合は、資料を保存して社会や後世に伝えようとする人々がいて、そうした人々の意志が働く。
建築家の設計資料の多くは、その建築家の事務所で作成されている。資料は業務を通じて、クライアントや協働設計者という関係者たちにも紐づいている。設計事務所で働いているスタッフたちにとっては、記憶やアイデンティティのよすがになるなど、実務以外の意味を持つこともあるだろう。資料はもともと資料に関係する人々のためのものだし、それらの人々に役に立つように維持されるのが、まずは健全な形である。それが第三者に共有されれば、また違った意味を持つことになる。関係者たちにとって有用でなくなった資料の意味を第三者が見出すこともある。それぞれの場面において、資料と関係する人間関係が存在する。
アーカイブズとコミュニティ=何かしらの人間関係の相互作用は、タマゴとニワトリの関係みたいなものである。資料は、何らかの業務や活動のために、特定の関係性の中で目的を持って作成されるわけだが、作成された資料は、関係者たちの活動や存在意義の証明になって、コミュニティの維持に寄与する。
資料のこのような循環はあまり意識されていないように思うし、実際に滞りない循環が起こっているかといえば、そうではない。実務においては過去の資料整理は後回しにされがちだ。また、建築アーカイブズとは歴史的な資料であって、現在の自分たちとはあまり関係のないものだと捉えることも多いのではないだろうか。
私が資料とコミュニティの関係を考えるようになったのは、実はわりと最近である。資料整理に集中しすぎると、その資料がコミュニティに対して持つ影響や、コミュニティからアーキビスト自身が受ける影響についての感受性は鈍くなりがちだ。また、こうした影響関係は、すぐに感じられるものでもない。歴史資料として扱われることの多い建築アーカイブズが、建築史研究以外で現代に生きる人々と具体的にどのように関わるかは、あまり考えたことがなかった。アーカイブズに関わるコミュニティを意識し始めたのは、資料と関係する建築物との関係が深まってからだった。具体的には、建築家・大江宏の資料がきっかけで、大江宏設計の建築調査に関わるようになってからである。
大江宏(1913-1989)は、モダニズムを受容しながら、現代における伝統の継承と表現を考えた建築家である。1948年から1984年まで法政大学において建築教育に携わり、建築学科の基礎を築いた。1950年代を通して法政大学市ヶ谷キャンパス復興に貢献し、学校建築の第一人者と目された。代表的な作品には、法政大学55・58年館(1955/1958)、香川県文化会館(1965)、普連土学園(1968)、国立能楽堂(1983)などがある。父は神社建築の大家である大江新太郎、東大の同級生には丹下健三がいた。
私は2020年の秋に法政大学に助手として着任して、アーカイブズが専門なら、大江宏資料をアーカイブ化してはどうかと、大江宏ご子息の大江新氏に繋いでもらい、2021年より資料整理を開始した。大江新氏は建築家として大江宏建築事務所での実務に携わられたご経験があり、法政大学でも教鞭を執られていた。また、ちょうど法政大学出身の石井翔大氏が、大江宏についての包括的な研究を進められていた。大江宏アーカイブの構築は、資料内容や作成経緯を熟知している関係者と大江宏研究者の助言により可能となった。また法政大学は、大江宏資料を活用するための最適な場でもあった。
大江宏は丹下健三に比べると一般に知名度が高いとはいえないし、建築を訪れたことがある人も多くないと感じる。しかし、実際に訪れてみて私はすっかり大江建築の素晴らしさ、面白さの虜になってしまったし、実は大江建築の使い手にはそのようなファンも多かったのである。
資料整理の開始とほぼ同時に、法政大学小堀哲夫研究室が中心となり、解体が決定した大江建築・茨城県公館(1974)の調査を行うこととなった。私はこの調査に、実測のための資料提供や、調査過程の資料管理、調査後の資料整理などで携わった。(注1)
茨城県公館は、1974 年9 月の国民体育大会開催にあたり、皇太子夫妻を迎えることを契機に計画された。敷地には公館、和館、知事公舎の3棟が雁行しながら連続して配置され、南面に庭を共有し、北側の渡り廊下で繋げられている(図1)。

公館の空間体験は非常に豊かで、訪れる度に発見があった。西側正面中2 階と南・東面バルコニーにはPCの列柱が規則的に並んでいるが、立面はそれぞれで構成されている(写真1,2)。


内部空間は、段差や階段の向きによってシークエンスが巧みに誘導されていき、歩くにつれて空間が変化し、次々に新しい景色を見せてくれる。エントランスから入るとヴォールト天井と壁面の石の陰影に富むロビーの大空間に迎えられる(写真3)。右に数段上がって左に折れ、重厚な額縁のついた入口を入ると広々とした食堂で、テラスの向こうの南面に芝庭が広がっている(写真4)。


エントランスロビーから正面に見える階段を上がると、左手に中2階があり、窓際は優美な曲線を描く手摺子に仕切られた応接スペースとなっている。右手へ折れて交差ヴォールトの下の階段を更に上がって2階に到達すると、鮮やかなオレンジ色のタイルと木の円柱に囲まれた外部空間のようなホールから、会議室へと導かれる(写真5)。私などは外観の印象と内部空間の複雑な体験がなかなか一致せず、図面や学生たちが制作した模型を通じてやっと全体の構成を把握することができた。模型を作る過程では、各立面の寸法の違いや、壁の石割り寸法が内部と外部で違うことなどが分かり、それぞれに計算されたデザインがされていることが理解できた。(注2)

残念ながらこの建築の解体の決定は覆されることなく、2019年に解体されて敷地は民間へ売却され、跡地には現在、スーパーが建っている。建築の継承のためには、それを支える人々が必要だが、知事公舎・公館という性格もあって、茨城県公館は竣工以来話題にのぼることもなく、その存在は水戸市民にもほぼ知られていなかった。せめて解体の前に多くの地元の方々に見てもらいたかったが、コロナ禍もあって、叶わなかった。この建築の存在が地元で知られ、評価する機会があれば、もしかしたら残すこともできたのではないかという後悔が残る。市民が自分のものだと感じることのできる機会が少ない公共建築も、実は数多くあるのではないか。
建築も資料も、継承のためには、それを自分に繋がるものとして楽しみ、使いこなす人々が必要である。継承を担う主体の一員となるためには、その建築や資料にもともと縁がなければいけないわけではない。建築や資料を開くことは、継承のために必要なことでもある。アーカイブズの場合は、人々を仲介しその継承可能性を広げていくのは、アーキビストの重要な役割のひとつでもある。そして建築アーカイブズの役割は、資料だけでなく、建築物を含めた建築文化全体を継承し、建築コミュニティに寄与することなのである。
茨城県公館は苦い経験となったが、その後も大江建築の調査を継続していくうちに、調査や資料が建築に関わるコミュニティに寄与することもあることが分かってきた。次回、そのほかの事例について報告したい。
注1.アーキビストとしての関与については、以下で報告している。藤本貴子「大学教育における近現代建築資料活用とアーキビストの役割-大江宏資料活用実践の検証を通して」『日本建築学会計画系論文集』89巻820号, p.1236-1247
注2.プロジェクトの詳細は記録冊子にまとめて公開している(法政大学小堀哲夫研究室『2021大江宏実測プロジェクト茨城県公館』https://archi.ws.hosei.ac.jp/?page_id=2491)。また、模型指導をしてくださった森山香さんの記事「取り壊される建物の模型」(『ARCHITECT』2025年4月号,p.2-3)も参照していただきたい。

藤本 貴子
法政大学
デザイン工学部建築学科
法政大学デザイン工学部建築学科専任講師。磯崎新アトリエ勤務後、2013-2014年、文化庁新進芸術家海外研修員として米国・欧州の建築アーカイブズで研修・調査。2014-2020年、文化庁国立近現代建築資料館勤務。2020-2025年、法政大学デザイン工学部建築学科教務助手。
